プシケの庭

心を癒し、真に自分らしくあるための、セルフ・アウェアネス覚書

「達観」しようとすることの落とし穴

「達観」するというのは、小さいことに惑わされないということですね。達観しろ、と言われたり、また、達観できればいいな、と思う方もいらっしゃるでしょう。

でも本当の意味で達観するのは、そう簡単にはできないことです。

私たちは日常に起こるいろいろなことによって、多かれ少なかれ影響を受けています。影響を受けても気づかないこともたくさんあります。

なぜ気づかないかというと、私たちは、自分の心にいつも注意を払っている状態ではないからです。

つまりよく見ていないのです。

または、いろいろなことにまぎれて、見えなくなっているのです。

「結構自分て影響されなくて、達観できてるのかな?」と思う事もあるかもしれません。

もちろん、影響されないこともあるでしょう。

でも、気づかないこともかなりあるのです。

そして、何が問題かというと、気づかないことでストレスがいつの間にかものすごく大きくなったりしてしまうことです。

「こんなの大丈夫。たいして影響されてないから」と感じていたのに、突然ものすごい不安や落ち込みに襲われたり、胃が痛いなどの体の症状に出ることもあります。

そこで初めて、すごいストレスにさらされていたのだな、とわかることに。

何か予期せぬことがあった時に落ち着くことは必要です。でも「このくらい全然平気。達観できるわ!」と表面的に何事もないかのようにふるまってしまうと、自分で自分の心を欺く結果になりかねません。平気、平気で押し切ることが、さらなるプレッシャーにも。

つまり、自分としては「達観」と思っているのが、実際には心の奥で起きていることが見えていないだけ、ということがあるということです。

どんな賢者でも動揺もするし、プレッシャーも感じます。

自分が物事に影響されていることを恥じる必要はありません。

それよりも時々、「今自分の心で何が起こっているかな?」と探ってみてください。そして、早めのストレス軽減、息抜きを取り入れましょう。

そのように微調整していくことで、突然メンタルが極端に悪くなることを避けられます。

結果として、心の安定が保ちやすくなります。

 

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