プシケの庭

心を癒し、真に自分らしくあるための、セルフ・アウェアネス覚書

過去を振り返るのは悪いこと?

f:id:unblockenergy:20201217185317j:plain
過去を引きずる、という言葉があります。基本的にネガティブな意味合いがありますね。早く断ちきれ、というような。

でも、人の心を本当によく観察すると、私たちの心は過去からのいろいろな出来事に影響され、複雑に絡み合い、どこかで過去の出来事に対する思いが続いています。それが当たり前。

そして、当たり前なことをネガティブにとらえても、自分への重荷になるばかりで心がさらに暗くなります。

だからといって、当たり前に起こることを、そのまま放置せず、過去の出来事に折り合いをつけたり、影響を解消していこうとするのがセラピーです。

なぜ過去に影響されるかというと、その事柄がショックで心に焼き付いていたり、受け入れられずに未消化だったりしているからです。

誰にでも起こることですから、まずそれをごく自然に起こることとして認めてあげる。

その上で、ショックを癒し、出来事への理解や振り返り、感情のリリースをしていくことがとても役に立つのです。

つまり、その事柄を「(無理にではなく、自然に)終わりにする」「消化していく」のです。

 そうすることで、スパルタ式に無理やり乗り越えるのではなく、結果的に「乗り越える」ということが起こるのです。

 すると、食べ物と同じように、その人の血となり肉となり、新たな強さとなります。

感情は無視しても存在し続ける

f:id:unblockenergy:20190922223623j:plain


自分の感情を認めず、ないことにしよう、と思うことがあります。

しかし、だからといって、その感情がなくなるわけではありません。ただ、それは心の片隅に追いやられ、見えなくなっているだけです。

特に、明らかにストレスなこと、ショックなことがあった時は、見過ごさないようにしましょう。

いろいろな感情を押し殺して大きくなると、心が抑圧された感情でいっぱいになります。

そのように混沌となってしまうと、うつになりやすくなります。

それよりも、一つ一つ、感情を認めていき、癒していくと、心はどんどん軽くなります。

自分を信じるには

自分を信じるのに条件はいりません。

ただ、この「信じる」というのは、自己正当化するということではありません。

本当に「信じる」ということは、自分の持つ可能性と人としての生きる力や資質を認めてあげることです。それが現在はっきりと見えないとしても。

信じた時、心が生命の方向にポジティブに動き、力が自然と沸いてきます。それが、苦しみを乗り越える原動力になります。

反対に自己不信に陥ると、生命の方向とは逆に行きますから、パワーが枯れてしまいます。自分で自分の足を引っ張ることになります。

人の思惑はほおっておく

本当にコントロールできるのは、自分の心だけです。他の人の考えることは止められません。

でも、その単純な事実を受け入れられないと、私たち自身が苦しみます。疑心暗鬼になったり、被害妄想を大きくしたり。

私たちの心は、毎日多くのことを考えていますが、そのすべてが重要ではありません。取るに足らないことや勘違いもたくさんあります。そして、それは私たちの周りにいる人も同じです。すべてを知る必要はありません。

常に人の考えを読もう、読もう、とすると、大きな不安にとらわれてしまいます。威圧的な親を持った場合、常に人の顔色をうかがう傾向ができてしまいますが、そうするとアテンションがどうしても自分の外に向きがちです。そのため、自分の力がそがれてしまいます。

過去のトラウマは、きちんと解消していけば、人の反応を不安に思う気持ちはなくなっていきます。しかし、解消していく間、人の思念を探ろうとする心の動きを見つめて、自分を落ち着かせ、人のことをほおっておくことも時には必要です。

心が鎮まれば鎮まるほど、必要なこと、知るべきことは見えてきます。

 

心に植え付けられた固定観念

人の心を探っていくと、いろいろな固定観念が、いろいろな時期に植え付けられたことがわかってきます。

多くは子供の頃に見聞きした事柄や、経験、トラウマによって強く焼き付いたものです。

そうしたものが人の世界観を造り上げます。そして、そこからその人特有の感情や考えが形成されます。

ですが、多くの人は、それが自分に固有のものだと気付いていません。気づかないと、自分の小さな世界をこの世のすべて、と思い込んでしまい、それが苦しみとなります。

心が癒されることにより、固定観念も解き放たれます。すると心の様相が変わりますから、実際にその人の「世界」も変わります。

 

問題を認識すること

あまりに長い間精神的苦しみをかかえていると、それが普通のように思えてしまうことがあります。

ある意味、慣れてしまうのです。

慣れてしまうと、解消しよう、または、解消できるのでは、ということが思い浮かばなくなりがちです。すると、状態が変わらないままになってしまいます。問題、と思わなければ、解決もありません。

多くの心の問題は、解決できるものであることをぜひ知ってほしいと思います。重荷は早くおろすに越したことはありません。

何かを「問題」ととらえるのは勇気がいることかもしれません。でも、この問題意識が、結果的に私たちを助けてくれるのではないかと思います。

 

完璧ではなく、ベストをつくす

心のどこかで完璧にやろうとしていると、心身が緊張してきます。

緊張すればするほど、物事はうまくいかなくなります。

完璧にやりたい、というこだわりが、逆に自分のブロックを作ってしまいます。

何をやるのにも、一度力を抜き、楽な状態で自分がベストをつくせるようにしてあげる。すると、結果もよいものになります。

そして、「その時のベスト」がどのようなものであれ、完璧ではなくても、受け入れてあげる。そのような心持でいると、ストレスを最小限に抑えられます。